写真は現在もベストセラーのスーパーカブ号
父のオートバイ1台では何時も兄貴と取り合い。。。
ついに兄貴が何処からかスーパーカブを手に入れてきた。
そのバイクをなんと兄貴は真っ赤に塗ってしまった。。。郵便配達か~
ご多分にもれず泥除けを外して異様な格好のバイクにしてしまった。
当時の道路は砂利道が大半で舗装道路は1級国道か大きな県道ぐらいしかなかった。
今でこそ舗装道路が当たり前だが(だから小さいタイヤのミニバイクでも走れる)当時
小さいタイヤのオートバイは砂利道での走行に問題が多かった。
聞いた話だがスーパーカブのタイヤは当時の道路事情を加味してあのサイズになったと言っていた。
余談ですが父から聞いた話では終戦後、飛行機の尾輪が大量に残りそのタイヤを
何とか再利用出来ないかと考えて有名なスクーター(社名は伏せます)が出来たとも聞いた。
私が自動二輪の免許を取得したのは昭和41年7月試験場に通う事3回目に合格
当時は直接試験場に行って受けるのが当たり前の時代。
自動車学校に行って受ける人はお嬢様かお金持ちのボンボンぐらいでした。
しかし、直角クランクの試験コースを手信号のまま片手運転でスイスイ曲がったのに受かった(^_^;)。
そのころ定時制の仲間達で免許取るのがブームで彼女をリアーシートに載せて家まで送るのが
カッコイイとされ私もご多分にもれずモテタイ一心で。。動機が不純。。無免許運転の決意は何処行った~
わっははははは。。。
by(^0_0^)nap